山口達也さんの事件に見る人としての成熟度

プライベート

世間を賑わせている芸能ニュース。
注目度を職業の土台にしている方々だからこそ、一般人よりも
模範的な振る舞いが求められ、不道徳な行為があった場合は
世間より厳しく叩かれる職種であることは間違えない。

一度、不道徳な行為が露呈した場合、世間はそれまでとは一転して
多くはsnsを介して、道徳家の仮面をかぶり、評論を吐く。

他人を批判するのは簡単だ。しかし、人間の成熟度が現れるのはの
その瞬間なのではないかと私は思う。

人は他人を責める時、自分のいやな部分を覆い隠すために
さらに責めるという行為を行う場合がある。

つまり、本当は他人のいやな部分を通して、自分を見ている。

もし、私たちがそのことに気づくことができれば、芸能人が象徴として
世間を騒がすニュースを起こしたときの自分の言動が変化するだろう。

「自分にも多かれ少なかれ、そのような弱さがある。」

この共感力があるかないか、それが成熟と未成熟を分ける鍵だと私は思っている。

そして、事件を起こしたその人の今後の成長と成熟を祈れたら、
私たちは今よりも平和な世の中に向かえるのではないだろうか。

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